父の死は防げたのだろうか?
今週のお題「おとうさん」
私の父は子供の頃に突然亡くなりました。しかも目の前で。
小学3年の夏休み最後の日です。早朝母の叫び声で目を覚ましました。
慌てて飛び起きた私は母を探しました。
どうやら声は父が寝ている部屋から聞こえたようでした。
ただならぬ気配を感じていたことをはっきり覚えています。
ドアの隙間から覗くと、父にすがりついて泣いている母の姿が見えました。
「どうしたの!」
「お父さんが死んじゃったかも!」
後に聞いた話では、明け方父のうめき声で目を覚ました母が様子を見に行くと、父が苦しそうにしていて、すぐに動かなくなったとのこと。
母はしばらくパニックに陥って父に呼びかけを続けていたが、ハッと我に返り救急車をよんだそうです。
私が駆け寄ったときには救急車を呼んだ後で、父は完全に動かなくなっており、子供ながらにこれはダメかもしれないと感じました。
しばらくして救急隊が到着し、担架に父を載せました。
そのとき隊員がぼそっとつぶやいた言葉はいまでも忘れられません。
「こりゃだめだな」
その後病院に運ばれ心臓マッサージを施されましたが、再び心臓が動き出すことはなく、正式に死亡が確認されました。
私は救急車が到着したあと近所のおばに預けれられており、病院での様子を直接みたわけではありません。死亡確認後、医師から死因を特定するための解剖を勧められたようなのですが、母は体を傷つけたくないとの理由で断ったそうです。
死亡診断書には死因「心不全」と記載されていました。つまりは原因不明ということです。
まだ小さかった私には何もすることができず、ただ無力感に襲われました。
こういう非常事態に人の本質的な部分が現れるようで、子供ながらに信用できる人間、そうでない人間がはっきりわかりました。この経験はその後の人間形成にも大いに影響を与えたと思います。
それから色々ありましたが、母の頑張りのおかげで大学まで行かせてもらい、無事に就職することができ、普通の社会人として自立できるようになりました。
結婚し、子供も授かりました。
大人になってから様々な知識をつけるに従い、父の死を後悔するようになりました。
きっかけとなったのは私自身の健康診断でした。
私の健康状態には全く問題がなく、問診の時間に医師と雑談をしていたのですが。
「心不全というのはつまり原因不明ってことですよね?」
「そうですね、解剖はされなかったのですか?」
「はい、母が嫌がりまして」
「そうですか、でも解剖はしておくべきでしたね」
「なぜですか?」
「もしかしたら遺伝するような病気かもしれないですからね。お子さんがいる方なら死因ははっきりさせておくべきでしたね。そういえばあなたもお子さんがいらっしゃいますよね。もし遺伝するようなものであればあなたのお子さんにも関わるかもしれない」
「なるほど。そういえば救急車を呼んでから母はうろたえるばかりで。心臓マッサージでもしてやればもしかしたら・・・」
「可能性としては助かったかもしれませんがそれはわかりませんよ」
だいたいこのようなやりとりがありました。
遺伝する病気については具体的にマルファン症候群というものがあると聞きました。
具体的には心臓の大動脈瘤乖離を引き起こすものです。
後日遺伝子検査を受けて私には該当しないことがわかりましたので、おそらく父も違うのではないかと思いますが、結局死因は謎のままです。
以上の私の経験から、いくつかの教訓があります。
1. 心臓マッサージのやり方は習得するべき
2. 死因は特定せよ
3. 救急隊の方は「こりゃだめだ」などと発言しない
4. 不幸は突然訪れることを肝に銘じること
息子が小学3年生になり、ふと思い出したので書きました。
皆さん後悔のない人生を。